岩の上で、江戸時代から続く稲作
三滝川のほとりにある石灯篭が目印の、高さ約5mのチャートの岩です。その岩の上には約7㎡の水田があり、江戸時代から稲作が行なわれ、2升の白米が収穫されています。プランクトンの死骸が固まりできたこの岩は大変硬いのですが、お米の確保のために水田として利用されたと考えられます。
西予市には各地で平地に巨岩が見られます。これらは土石流で流されてきたもので、この岩上田も、三滝川の上流にあった岩が運ばれて、この地にたどりついたと考えられます。
三滝川のほとりにある石灯篭が目印の、高さ約5mのチャートの岩です。その岩の上には約7㎡の水田があり、江戸時代から稲作が行なわれ、2升の白米が収穫されています。プランクトンの死骸が固まりできたこの岩は大変硬いのですが、お米の確保のために水田として利用されたと考えられます。
西予市には各地で平地に巨岩が見られます。これらは土石流で流されてきたもので、この岩上田も、三滝川の上流にあった岩が運ばれて、この地にたどりついたと考えられます。
水は高低差を利用し、近くの小川から引かれており、おいしいお米が育ちます。
田植えや稲刈りの時期はもちろんのこと、岩のまわりではヒガンバナが咲くなど、四季を通じて山里の景観が楽しめます。