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黒瀬川構造帯
 西南日本の秩父帯に、まわりの堆積岩とは異質な花崗岩や変成岩が蛇紋岩とともに分布することは、1930年代から知られていました。また、1940年には、これらの岩石にともなわれる石灰岩からシルル紀の化石が四国では初めて発見されました。
 しかし、これらの岩石がもつ地質学的意義が明らかにされ、それが「黒瀬川構造帯」の名前とともに世界から注目されるようになったのは戦後のことです。それは、市川浩一郎・石井健一・山下昇・中川衷三・須槍和巳の5名からなる「黒瀬川団体研究グループ」の人達が、地質学における解決すべき重要問題の答えがそこに隠されているとして、戦後の食料にも事欠く時代に、並々ならぬ情熱をもって城川町や野村町の山野を歩き回り、実に詳細な地質調査を行った結果なのです。長期間にわたった研究が可能となった裏には、また、地元の人達の献身的な協力があったことも忘れてはなりません。このグループによって、まわりとは全く異質な岩石が、西南日本の大規模な断層帯に沿って出現する代表的な場所が黒瀬川地域であるとして、「黒瀬川構造帯」というタイトルで「地質学雑誌」に論文が公表されたのは1956年のことでした。
 その後地球科学は著しく発展しましたが、現在でも、西日本の生い立ちを考察する上で、黒瀬川構造帯がその鍵をにぎっているという見方は変わっておらず、今なお多くの研究が進行しつつあります。
 黒瀬川構造帯は、西は九州の八代から祇園山、四国に入って野村町手都合・岡成、城川町嘉喜尾・三滝山、高知県鳥形山・横倉山・高知市、徳島県坂州・加茂谷、紀伊半島にわたって湯浅・鳥羽、さらに東は関東山地に至るまで、南北幅は数キロメートル以下ですが、東西の総延長は千キロメートル以上になる大断層帯です。この帯は、破砕された蛇紋岩中に、三滝火成岩類や寺野変成岩類(いずれも城川町の地名がとられています)などの基盤岩類、岡成層群のようなシルル・デボン系、その他種々の変成岩類がブロックとして取り込まれていることで特徴づけられます。(蛇紋岩メランジュ帯と呼ばれます)。
 一方、近年になって、四国にも主として海洋プレート起源の岩石からなる中生代の付加体が広く分布しているのに、黒瀬川構造帯に接する地帯に限って、貝化石を豊富に含む大陸棚のような浅い海で堆積した地層や、三滝火成岩類とよく似た大きな花崗岩礫を含む礫岩層など、黒瀬川構造帯の岩石を供給源とする地層が分布することがわかってきました。
 このことと、黒瀬川構造帯には大陸の基盤岩類とみなされる岩石が分布することを考え合わせると、これらの地層や岩石はすべて、かつて存在した一つの大陸に起源をもつのではないかと考えられるようになりました。
 そこで、黒瀬川構造帯と近接する部分を含めた地帯を「黒瀬川地帯」とよび、その起源と考えられる大陸は「黒瀬川古陸」とよばれるようになりました。
 そのような大陸の部分が、現在のような蛇紋岩を伴う構造帯となったのは、中生代白亜紀末以降のことです。

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