R6 宇和海高山の石灰産業と町並み景観

R6 宇和海高山の石灰産業と町並み景観

大早津の石灰産業跡地

石灰を海外にも輸出していた「白い村」

 明浜町高山地区は南面に宇和海を臨み三方を急傾斜に囲まれた集落です。その大地は東西に横切る「仏像構造線」を境に、「秩父帯南帯」と「四万十帯」と呼ばれる地質体で構成されています。地面を掘ると、大規模な石灰岩ブロックや玄武岩、チャート、泥岩、砂岩などが出てきます。
 ここでは古くからイワシ漁の漁村が成立し、戦国時代の宇都宮正綱の所領下では海を注視する軍事的機能を備えた拠点でもありました。江戸時代後期に畑の肥料としての石灰の利用が始まると、宇都宮角治によって高知から石灰業の技術がもたらされました。集落近くに石灰岩体が分布したことや焼成技術の改良も相まって、明治時代に生産量は向上。各所の石灰窯から白煙がのぼる様子から、当時の高山は「白い村」と呼ばれることもありました。最盛期は朝鮮半島や台湾へ出荷し、人口も増えてで住宅が密集するようになりました。しかしながら、化学肥料の普及とともに衰退し昭和57年に最後の工場が閉鎖、産業としての終焉を迎えました。
 現在の景観には高山を構成する自然とともに、集落、段畑、道、石灰窯、鉱山跡、建造物、石造物、若宮神社、潮垢離等、地域の文化が良く残されています。

Pick Up

石灰産業発祥を今に伝える碑

この地の石灰産業に大きな役割を果たしたのが宇都宮角治という人物です。土佐に石灰製法を習いに行き製錬釜をひらきました。

Pick Up

若者たちが奉献した賀茂神社の常夜灯

明治期の石灰業の隆盛を背景に、高山地区では石灰業を営む若者を中心に費用を出し合い、賀茂神社の社殿の再建が行われ、2基の常夜灯が奉納されました。石灰岩でできたこの常夜灯は高さ3mもあり、西予市の有形文化財に指定されています。また、ウド貝の巣穴の跡も残っています。

ジオポイントDATA

【アクセス & 注意事項】
「高山の石灰産業発祥の地」
◎西予宇和ICより車で約35分
◎駐車場無
「大早津の石灰産業跡地」
◎西予宇和ICより車で約45分
◎駐車場有
◎未舗装の場所もあるので、歩きやすい靴を推奨します
「賀茂神社」
◎西予宇和ICから車で約35分
◎駐車場無
「かっぱの狛犬」
◎西予宇和ICから車で約35分
◎駐車場無

【ジオガイド案内】
◎大早津の石灰産業跡地 60~90分 1名のガイドで15人まで