活動アルバム
市内外の皆さんに四国西予ジオパークを理解していただくため、イベントや研修会など様々な取り組みを行なっています。ここではこれまで実施してきた活動の記録をご紹介します。
せいよ自然と暮らしのカレッジ(宇和・多田地区)が行われました。
11月17日に宇和町多田公民館とその周辺にて「せいよ自然と暮らしのカレッジ」を行いました。
本講座は、一般社団法人ノヤマカンパニーに加藤雄也さんに企画していただきました。
7月の豪雨災害などを踏まえて、ジオパークに限らない西予の自然と人の暮らしの結びつきを、関心のある方に広く感じていただきたいとの思いから今年より始めました。
講師として愛媛県歴史文化博物館学芸員の大本敬久さんにお越しいただき、特別ゲストとして日本ジオサービスの目代邦康さんにもご参加いただきました。
今回は座って先生の話を聞く講義ではなく、先生とともに地形や町並みを見てまわるフィールドワーク形式で行います。
冒頭に、大本さんからフィールドワークを行う上でのコツを教えていただきました。
それは次の3つに気を付けて歩くことです。
1. まずは高いところに登ること
2. 水の流れを注意して観察すること
3. 寺と神社を見てまわること
以上の点に気を付けながら、次の順番で町歩きをしました。
東多田地区→福楽寺→大安楽寺、蛇骨堂
東多田地区は、江戸時代には宇和島藩領で、大洲藩との境ということもあり、「番所」と呼ばれる関所がありました。
そのため関所を通る人が集まったことから町として栄えました。かつては卯之町よりも人口があったということです。
実際に東多田の町並みには古くて立派な住宅が多く、瓦には様々な動物の意匠が作りこまれていました。
東多田の町並みを見終わった後、加藤さんからこの景観をよく理解するための謎解きが与えられました。
「多田の発展を支えた小高い地形のひみつとは?」
さて、どのような秘密があったのでしょうか。
次に福楽寺に場所を移しました。
福楽寺はかつて周辺を寺領として抱えており、裕福なところであったようです。
当時の立派な山門が今も残されています。
ご住職さんにも解説に加わっていただき、伝え聞いているかつての多田の様子をお話ししていただきました。
また本堂の横は急傾斜となっており、7月の豪雨災害によって斜面が崩れてしまったとのことです。幸い本堂に大きな被害はありませんでしたが、ここでも人と大地の密接な関わりに触れることができました。
最後は大安楽寺の横にある蛇骨堂へ行きました。
蛇骨堂はその昔、領主の宇都宮永綱が多田に住むという大蛇を退治し、その大蛇を供養するために建てられたという言い伝えが残っています。
大本さんによれば蛇の伝説は、その地域が土石流の度々生じる所であったことを示しており、災害の困難を乗り越えて開墾し人が住むようになった証であるとのこと。
多田公民館へ帰ってから、今回の内容をまとめた資料に目を通しながら復習をしました。
先に資料を配ってしまうと資料が気になって話や景色が頭に入ってこないということで、大本さんと加藤さんが今回のフィールドワークで工夫したということです。
さらに目代さんによる「小高い地形」の解説がありました。
田んぼの真ん中にぽつんとある小高い地形はかつて北方の丘陵と一つの連なりであったものの、その間に存在した断層が動いて崩れたため、孤立したとのことです。
また宇和町岡山の住宅が密集した小高い地形は、大規模な土石流が流れてたまったもので、その周りを河川の流れによって削られ出来上がったということです。
周囲より小高いため災害も少なく、岡山にはたくさんの住宅が栄えることになったわけですね。
参加者の反応もよく、特に多田にお住まいの方からは普段の景色を見直すきっかけになったとの旨の感想をいただきました。
東京からお越しいただいた目代さんにも面白かったといっていただけました。
「せいよ自然と暮らしのカレッジ」は今年度あと3回開催する予定です。次回は12月8日に明浜町高山地区で行います。詳しくはジオパーク推進室までお問い合わせください。