活動アルバム
市内外の皆さんに四国西予ジオパークを理解していただくため、イベントや研修会など様々な取り組みを行なっています。ここではこれまで実施してきた活動の記録をご紹介します。
せいよ自然と暮らしのカレッジのフィールドワーク(明浜編)を開催しました
気温が下がり、冬らしくなった週末、せいよ自然と暮らしのカレッジのフィールドワーク(明浜編)を開催しました。
大早津にある石灰岩の採石場跡地。そもそもなぜ石灰岩を採っていたのか、それらは何に使われていたのか、なぜ明浜の石灰産業は成功し、そして廃れていったのか…。
いろいろな疑問について、地域の方のお話しや地質・地形の情報などから考えていきます。
ここでは、石灰岩があるところに横穴を掘り、下から発破をかけて砕いた後、トロッコで運び出していたとのことでした。
トロッコ道があったところは、キャンプ場となり、ログハウスなどが建てられています。
消石灰は大正から昭和初期にかけて、農地の土壌改良剤として非常に重宝されていました。明浜はその頃、石灰をつくる工場が立ち並び、消石灰の一大産地だったそうです。(ちなみに、市内では「苦土石灰」をつくる工場が城川の方にありますが、苦土石灰はマグネシウムを多く含む石灰岩からつくられるもので、消石灰とは別物です。)
こちらは宮野浦の岩井地区にある明治初期の石灰窯。このあたりでは最も古い時代のもので、薪を燃料として焼成が行われていたそうです。
他地域でも現存するものがほとんどないようで、貴重な文化遺産として保存を図っていなかければいけない、とのお話でした。
市役所の文化財担当の職員さんからも、石灰窯の調査をした時のお話をうかがいました。
明浜の宮野浦から高山あたりには、石灰窯の跡があちこちに残っています。ここもその1つ。
ここは、石灰産業で栄えた時代に建てられた加茂神社。豪華なつくりに当時のまちの繁栄ぶりを感じました。
フィールドワークに同行していただいた宇都宮長三郎さん。長年、明浜で石灰産業に従事されていた方で、まさに生き字引。石灰づくりの現場で働く職人さんの苦労の様子などを、ありありと目に浮かぶように語っていただきました。
昼食をはさんで、石灰焼きの職人さんたちがおやつとして食べていた「灰屋イモ」づくりを体験しました。
石灰岩を焼くと粉状の「生石灰」ができますが、これに水を加えると「消石灰」になります。この過程で、発熱し200℃近くになるそうで、その熱を利用して焼き芋を作っていたそうです。
水を加えて練った生石灰の上に、手早く芋を並べ、さらに石灰で覆って蒸し焼きにします。
灰屋イモが出来上がるまで、近くにある明浜歴史民俗資料館で、石灰産業に使われていた道具や昔の写真などを見学をしました。
最後に、フィールドワークを通じて感じたこと、産業遺産の保存・活用について考えたことなどを1人ずつ発表してもらいました。
灰屋イモはちょうどよい焼き加減でホクホクしておいしかったです!次回のフィールドワークは、来年の2/3(日)。三瓶地区のまちの成り立ちを探ります。
(作成:一般社団法人ノヤマカンパニー)