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活動アルバム活動アルバム活動アルバム 市内外の皆さんに四国西予ジオパークを理解していただくため、イベントや研修会など様々な取り組みを行なっています。ここではこれまで実施してきた活動の記録をご紹介します。

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市内外の皆さんに四国西予ジオパークを理解していただくため、イベントや研修会など様々な取り組みを行なっています。ここではこれまで実施してきた活動の記録をご紹介します。

せいよ自然と暮らしのカレッジ「フィールドワーク(明浜町俵津)」を開催しました。

10/14(日)、明浜町俵津でフィールドワークを行いました。講師は西予市文化財保護審議会会長・近代化遺産活用アドバイザーの岡崎直司さん。

「今日は知識をふやすことよりも、感覚を研ぎ澄ますことを目指しましょう。そのためにしっかり五感を使って風景をとらえましょう。そして想像力をよく働かせましょう。」

会場の俵津公民館は、かつて製糸工場があった場所。石碑にいわれが刻まれていました。

大山神社。この付近では、「仏像構造線」という大きな断層が東西に走っており、岩石の種類が北と南で違ってくるとのこと。
地質図を見ながら、この石材は近くで採れたものなのか、それとも他所から運んできたものかなど思考を巡らせました。

少し歩くと、川沿いの平坦な土地に柑橘畑が。このあたりは「新田」という集落。江戸時代に川沿いの湿地を水田として開発していた場所です。戦後、米の生産調整に伴い、水田から柑橘畑へと転換されたのでしょう。

川を越えて柑橘畑の斜面を少し上がったところに、市文化財の経塚が。平たい石にお経を書いて積み上げられた塚です。

経塚に使われていた石は、緑色片岩(青石)。西予市よりも北の方に分布する石です。角がとれた形状から川で流されたものであることがわかります。緑色片岩が産出する八幡浜などの川沿いや海岸にあったものが運ばれてきたと考えられます。

集落にあった鉱滓(こうさい)レンガづくりの壁。鉱滓とは、鉱物を精錬するときにできるくずのことで、スラグとも言うそうです。この地方では、こうしたレンガを作る技術は無いのですが、中国地方や九州地方と交流のあった海辺の集落ではところどころで見られるそうです。

午後からは、かつて俵津村の役場や学校があり、中心地だった大浦集落の方へ。

このあたりは、平成30年7月豪雨で大規模な土砂崩れが起こった場所です。

宇和海のリアス海岸に位置する俵津では、あちこちで津波への危機意識を高める標識も見られました。

立派な門構えのお宅。豪華なつくりから、庄屋さんか郷士など地域の有力者の住宅であったことがうかがい知れます。郷土史でしらべてみよう。

最後に訪れたのは、海の近くの大きな建物。

岡崎さんによると、この建物は立派なつくりや屋根瓦の家紋などから、吉田藩の米蔵であった可能性が高いそうです。俵津は江戸時代、年貢米を船ではこぶ(津出し)港として栄えた歴史が尋常小学校校歌に歌われています。

この建物は昭和30年代ごろまで、醤油の醸造と販売を行う倉庫として使われていたそうですが、現在は空き家状態。俵津の歴史を物語る文化資源と言えそうですが、老朽化が激しく、長くはもたないとのことでした(文化財としての指定はされていません)。こうした地域資源とどう向き合っていけばよいのか、考えさせられるフィールドワークでした。

(作成:一般社団法人ノヤマカンパニー)