活動アルバム
市内外の皆さんに四国西予ジオパークを理解していただくため、イベントや研修会など様々な取り組みを行なっています。ここではこれまで実施してきた活動の記録をご紹介します。
せいよ自然と暮らしのカレッジ「フィールドワーク(野村町野村)」を開催しました
11/24(日)、野村町野村地区でフィールドワークを開催しました。講師は、愛媛県歴史文化博物館の大本敬久さん。
今回は、平成30年7月豪雨で被害を受けた野村のまちの成り立ちや災害の記録を学び、自然との共存について考えるのがテーマです。
道の形や地形を確かめながら、まちの中を歩くと、高低差が感じられ、野村のまちが河成段丘上に広がっていることを実感しました。
続いて、三嶋神社へ。ここも洪水で大きな被害を受けた場所です。
拝殿には、洪水被害の記録写真が展示されていました。
高さ3.7mまで水に浸かり、社務所も流されてしまったとのこと。境内のあちこちに被害の傷跡が見られました。
この神社は過去に何度も洪水の被害を受けながらも、そのたびに再建されてきたことが記録からわかっています。かなり高い位置につくられた本殿も、直接洪水の被害を受けないように、という先人の工夫。
今度は、石久保地区を回ります。このあたりで、川幅が狭くなっているのですが、地質と関係があるのでしょうか。今後の研究課題です。
最後に訪れたのは、前嶽溝(ぜんがくこう)の碑。野村は肱川の氾濫で被害を受ける一方、河成段丘上に位置し、生活用水の確保に苦労していたようです。
そこで、嘉永6年(1853)徳山駒吉氏が中心となり、野村西地区の灌漑のため、四郎谷出合から野村の岡池(現在は埋め立てられ野村病院に)まで肱川の水を引くための水路、前嶽溝がつくられました。長さは約3.5kmにおよび、手掘りのトンネルも伴う大工事だったそうです。
現在はコンクリート製に置き換わっていましたが、ダムの下流では現在も水路が残っていました。
午後は、特別ゲストとして元野村町長の池田忠幸さんをお招きし、野村のまちの歴史や肱川の治水事業についてお話を伺いました。
(作成:一般社団法人ノヤマカンパニー)