活動アルバム
市内外の皆さんに四国西予ジオパークを理解していただくため、イベントや研修会など様々な取り組みを行なっています。ここではこれまで実施してきた活動の記録をご紹介します。
宇和高校生が笠木峠古墳を見学しました。
9月27日に宇和高校のジオ学習の履修生たちが、笠木峠古墳を見学しました。
1学期までは西予市の大地の成り立ちを理解するために地層や岩石の勉強をしていましたが、2学期はその大地の上で営まれる宇和の人々の暮らしや文化に触れていきます。
今回は文化財に詳しい西予市文化・スポーツ課の兒玉さんに解説していただきました。
笠木峠のふもとに集合した生徒たちは、兒玉さんからかつて笠木峠は宇和と八幡浜を結ぶ唯一の交通路であり、かつてお遍路さんや馬借(馬に荷物を載せた運送屋)などが行き交ったところであると説明を受けました。
笠木峠古墳は山の上にあるので、ここからチャートや土砂からなる未舗装の道を登ります。
昔の人はこの道を草履で歩いていたんだよ、と伝えると生徒たちはその苦労を想像してくれていました。
峠の中腹にはお墓があり、兒玉さんによれば峠や宇和でお遍路の途中に亡くなった方を供養しているとのことで、遠くは佐渡や金沢出身の人もいたとのことです。
古墳のふもとまでたどり着くと兒玉さんから素敵なサプライズがありました。
当時の衣服である貫頭衣(かんとうい)の再現品が一人ずつ手渡され、当時の祭礼を再現しながら古墳の上に登ることになりました。
この日は晴天で古墳の南東側には広大な宇和盆地を、北西側には八幡浜を一望することができました。写真に収めることはできませんでしたがこの日は九州を垣間見ることもできました。
古墳の上では当時の祭礼に使用した土器レプリカや、宇和盆地で使用していた石包丁のレプリカを触ることができました。
さらに兒玉さんから当時の埋葬状況や出土品について説明を受けました。
この古墳からわかることとして、葬られたのは当時の宇和盆地を束ねていた長であること、当時の宇和が八幡浜や周辺地域と交流を持っていたこと、大きな古墳を交通の要所に造るほど勢力が強くたくさんの人口を抱えていたこと、そしてその人口を支えるだけの食料の供給が宇和の田畑で賄えていたと推測できることを学びました。
(事務局:榊山)